月別 アーカイブ

HOME > Visse's Blog > アーカイブ > エッセイ: 2017年3月アーカイブ

Visse's Blog エッセイ: 2017年3月アーカイブ

ゴールデン・レトリーバーの乳児咬傷事故は、なぜ起きたのか。

先日、八王子で牡のゴールデンが乳児を噛み殺すという痛ましい事件が起こりました。「どうしてこのようなことが起こったのか」ということについては、すべてが推察の域になりますが、二度とこのようなことが起こらないように願いを込めて、これ迄の僕の経験を元にお話ししたいと思います。
 
今回の事件は、「情動行動」が引き起こした結果だと考えています。普段は温厚な人が「かっとなって人を殺してしまった」というのも、この情動行動です。ある方が「狩猟行動によって引き起こされたものではないか。」とコメントされていましたが、狩猟行動は、単に殺すことを目的としたものではなく、「捕食する」という「生得的欲求」によるものなので、僕にはしっくりきません。

また、東京大学大学院獣医動物行動学研究室の、武内ゆかり准教授(動物行動学)は、「赤ん坊のミルクの匂いを、食べ物と勘違いした可能性が考えられる。」と示唆しておられますが、これもしっくりきません。いずれも否定をしているのではなく、しっくりこないだけです。どんな可能性も否定は出来ませんから。

情動 【じょうどう】『恐怖・驚き・怒り・悲しみ・喜びなどの感情で、急激で一時的なもの

情緒ともいい、感情の一種。急激に発生し、おおむね短時間で消滅すること。
また、きわめて激しい心身の変化を伴うことによって、継続的かつ微弱な感情である気分とは区別される。
 
そして、なぜ「情動行動」が引き起こされたのか、という理由については、史嶋 桂氏が自身のブログで言われている、(日本大学農獣医学部卒・日本応用動物昆虫学会員・国立環境研究所協力研究員)

「普段から祖父母によってとても可愛がられていたことは想像に難くない。そこにもっと祖父母が可愛がる彼らの孫と言う存在が連れてこられた。女児は今までも何度か祖父母宅に連れてこられていたが、近頃ハイハイを始めたばかりだという。おそらく犬の目前で孫を巡って、毎回女児を大歓迎するような振る舞いが繰り返し見られたのではないだろうか?犬からしたら今まで自分が独占していた飼い主の愛情が、自分ではなく女児にむけられたと感じられた可能性もあるだろう。」

という部分が、これまでに100数頭の咬み犬を扱ってきた経験上、やはりいちばんしっくりくるのです。というのも、100数頭のうちの攻撃行動の中で、多頭飼いにおける攻撃行動、いわゆる喧嘩が10例ほどあります。いずれも牡✕牡、雌✕雌で、異性同士の喧嘩はゼロです。牡✕牡の中には親子もいました。

そして、必ず攻撃は先住犬が仕掛けます。(僕がレッスンをした限りです)何故なら後から来た犬が「気にくわない」からです。これらの喧嘩の元となっている動機は、牡・牝ともに「序列意識」と「愛情の奪い合い」です。当然本気で殺そうとしますから、もし大型犬と小型犬の喧嘩であれば、小型犬はひとたまりもないでしょう。今回は喧嘩の相手が犬ではなく、人間の赤ちゃんだったと言うことでしょうか。

また、レッスンを受けられた飼い主の方々が共通して、「今まではなんともなかったのに、突然喧嘩が始まった」と言われます。しかし、よくよく話を聞いてみると、「小さな小競り合いは前から合った」と全員の方が言われます。問題行動のすべてにはプロセスがあります。残念ながら、それが将来、本気の喧嘩に発展していくとは、なかなか想像できないというのが普通の飼い主さんです。なぜなら、経験したことがないからです。

以下は、僕が生徒さんに渡しているテキストの一部です。

犬の感情の種類 ※感情の種類には、僕がこれまで見てきた犬から感じた種類もあります。
 
「不安」「恐怖」「喜び」「怒り」「哀しみ」「楽しみ」「警戒」「苦痛」「焦燥」 
「卑下」「嫉妬」「失望」「欲求不満」「我慢」「忍耐」「共感」「猜疑心」「期待」


1.不安や恐怖は、生得的なものに加え、条件づけられた学習感情です。
2.不安や嫉妬が高まると怒りに発展し、さらに攻撃行動へと移っていく。
3.嫉妬は、優越感、憎悪に対する感情であり、愛情を奪われる危機的競争意識。

4.欲求不満は、「自傷行為」 「無駄吠え」 「攻撃行動」などの代替行動として出現する。
5.我慢や忍耐は、トレーニング、しつけによって助長され、コントロールすることができる。
6.犬の感情は、飼い主の感情に同調し、共感する。
 
もし、これが仲の良い友達夫婦に赤ちゃんを預けて起きた事件であれば、「大型犬のいる家に赤ちゃんを預けるなんて預ける方が悪い。犬なんだから何が起きるかわからないのに。」という意見が大勢を占め、シンプルな結論になるような気がします。預かったのが祖父母だったということが、この問題を複雑にしているようにも思えます。
 
祖父母にとって、赤ちゃんは可愛い孫であり家族なのですが、犬にとって赤ちゃんは、家族の一員ではなく祖父母に愛情を奪われる危機的存在だったのかも知れません。序列意識による攻撃行動だったのかも知れません。僕の友人の女性のトレーナーがこの件について、「赤ちゃんと犬」より「孫と犬」のほうが、私が見てきた中では、犬のストレスが強いような気がします。と言っていました。
 
僕が今回の不幸な事件で知って欲しいことは、犬にも我々と同じ心があり感情があるということです。単純に、「犬だから何が起こるかわからない」ということで片付けたくはありません。そして、亡くなった赤ちゃんのご冥福をお祈りすると共に、ご家族、祖父母の方々に心よりお悔やみ申し上げます。

1

« エッセイ: 2015年9月 | メインページ | アーカイブ | エッセイ: 2017年8月 »

このページのトップへ